サー・オーレル・スタインは1901年6月の始め、第一次遠征の帰路、中国国境のイルケスタンからタルデイック峠を経てフェルガーナのオシュに向かい、アンデイジャンに抜けたがアライ谷は通っていない。
ここに掲載した地図の太い赤線で示すルートはスタインが第4次中国トルキスタン調査の帰りを利用した1915年7月以降、10月中旬までのパミール遠征時に、カシュガルからアライ谷に向かい、ダルートクルガンから南下してトランス・アライ山脈を越え、タジキスタン南部パミールの山岳地帯を一周して、再びスルクアブのジルガタルまで戻った驚異的調査ルートを示す。
ダルートクルガンまでに彼はカシュガルを発して、ウルグアルト峠、コシュペル峠と、プトレマイオスのいう「イマオス山脈」を越えてカシュガル川上流のマルカン・スーを遡上し、キジルアルトの鞍部で一旦トランスアライ山脈を越えてロシア領(現キルギス)に入り、キジルスー(スルクアブ・赤い水)の所謂アライ谷に降り、プトレマイオスの謂う大シルクロードとは、アムダリヤからカラテギン、スルフアブ、アライ谷、そしてシナへ越えるこのルートだと実感した。(白鳥庫吉の反論、南道ワハンルート説は後日)
此の紀行は巨大地震によるサレズ湖出現を初めて西欧に報告したほか、多くの新知見をもたらした貴重な記録。以降このパミールルート周辺を詳細に紹介した記録はない。
本多海太郎・井手マヤご両人は並み居る登山家、トレッカー、学者が垂涎だったこのあたりを突如、2005年以降毎年続けて周遊した最初の日本人となった。スタインの大ファンで、部分訳も出している井手さんが自ら歩いた数次の現地情報を加味しながら、07年秋にスタインが1915年に記録した Innermost Asia から、カシュガルを出発してアライ谷~パミール周遊~カラテギン~ドシャンベ までを翻訳整理された。これを現在の地図上にプロットし、併せて行動概略をカレンダー・デイに整理したものを掲載する。(文責・松田徳太郎)
右の画像枠をクリックすると、別窓でPDF図のパミールルート地図が見られます:A~4 横版でプリントアウトして下さい
1915年オーレル・スタインのパミール紀行日程
(井手マヤ 訳 による)
5月31日 亀玆(クチャ)方面から Kashgar 到着 滞在
7月06日~ Kashgar 出発 、Ulg Art 峠.~Moji経由~Markan-Su 遡上
7月23日 Kosh-Bel 峠越える
7月24日 Kunn-bel 4211m 峠~Kizil Kol
7月25日 Kizil Art 峠 4280m~Bor-Dobe(現在のキルギス税関国境ポスト)
7月28日 Alai 谷を西方に下り始める
7月29日 Daraut-Kurghan (Kyzil-Su 沿い、タジク国境より
40km東方)到着
8月02日 Minteke 川沿いに南下、遡上。Ters Agar峠(3598m).で
トランス・アライ山脈を越え、タジキスタン領に入る。
Sel-Tagh の山脈、フェドチエンコ氷河の景観は圧巻。
Muk-su谷へ下り、Altyn Mazar 泊 草原、森林地帯
8月03日 フェドチエンコ氷河洪水でルートを代え Sauksay 川源頭から
Kaindy 谷へ。狭隘ゴルジュで難儀, Kaindy 峠登り口でキャンプ。
8月05日 Kaindy 峠 4822m 越え。パミール的風景に一変。
8月07日 ズルマルト山脈の支脈 Takhta-Korum 峠 4555m 越え、
牧草地でキャンプ
8月08日 Kok-Jar 谷、Takhta-Korum 谷流点には巨大なモレーンが
いくつもある。Kok-Jar谷の支谷 Shor-ale でキルギス人から
地震(1911年)の崩壊でサレズ湖が出現したことを知らされる。
やむなく Marjanai Pass 経由の計画を断念、Rushan 谷
(Bartang) の源頭 ヤシル・クル経由で Alichur を目指す。
8月10日 Kok-jar谷、Tanimas 川を下る。Koku-ui-bel 川と Tanimas
川の合流点 Ghudara に至る。生々しい地震の傷跡。
8月11日 Pasor でキャンプ。ポプラ樹の美しい村。
8月12日 Bartang 谷に入り、Savnob 村でキャンプ。美しい村。
8月14日 Barchadev
8月15日 Sarez 湖に至る。地震から4年経過しているが、水位はまだ上昇
中であった。(1913年の水面長27km・現在63km)
8月18日 Irkht Fiord 「入り江」の入り口~Sarez 湖周辺を探査
8月19日 Irkht Fiord を南下しキャンプ。
8月20日 Langar 峠 4629m を越えグント水系に入る。。
8月21日 Yashil-kul 北岸を東行。中国系クルガン。
8月23日 Alichur 経由 アリチュール川を南に越えて Bash Gumbaz
8月26日 Bash Gumbaz 峠 4890m を越えゾルクル西岸 4125m に至る
気温:ー12°F(-25°C)
8月28~30日 ゾル・クル→パミール川下降、ハルグーシュ→ランガール
9月03日 Vranng ~ Yamchun砦(ワハン回廊・カンジュート対岸)
9月05日 Darshai(シャクダラ山脈越えロシュカラへの分岐点)
9月07日 Namadgut でカアカフォートを調査
9月10日 Nut 出発(アフガン側イシュカシム対岸)パンジ川沿いに北上
9月14・15日 Khorog
9月15日 Shakdara 谷に入り、Roshkala 泊
9月18日 Jawshangoz→Dushakdara峠4399m →VarshedzでGunt 谷
9月21日 Shitam 出発。Raymed 渓谷に入り Bartang 渓谷へ。
9月23日 Khijez から Bartang 谷入り。Baghu → Yemts
9月25日 Rushan ( Kara-i-Waimar )
9月27日 Rushan 出発。 Yodudi 峠 4208m経由で Yazgulem谷へ
氷河越え
9月30日 Rokhar (Vanji 谷をパンジ川から入る)
10月02日 Sitargh (現 Akbaysitarg 峠 4473m )越え、Khingob 谷源頭へ
現 Stragh 村で一泊
10月04日 Khingob 谷 → Pashmghar 村
10月06日 Lojirk まで下る
10月07日 Langar より Gardan-i-kaftar 峠 3736m 越え Karashura 谷へ
10月08日 再び Surkhob に帰着。Jirgatal ,Karategin 地域に入る。
10月10日 Surkhob (ヴァクシュ) を下り Garm
10月13日 ゴルジュとなる Abi-Garm でヴァクシュ川を離れ、カラテギン
山道を西に取りカフルニガン水系に遷り、昔日のシルクロードを
偲びながらドシャンベに向かう
10月14日以降 Dushanbe → Shahri-i-sabz → Samarkannd→
スタインはカラテギンに至って、周辺地域の農耕、遊牧、地主、小作などの生活を鋭く分析しながら、タジク、キルギス、ウズベク族の盛衰を指摘するが、次の調査予定地シースターンに急がねばならず、残念ながらパミールの貴重な記録を了える
以上;文責。松田
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