古地図に潜むアフガニスタン 松田徳太郎
横浜のユーラシア文化館でこの秋「天空・地球・ユーラシア、古地図が描く世界の姿」展が開催された。様々な視点から選ばれた素晴らしい古地図の数々見ることが出来、感銘を受けた。丁度、関根正男氏の「日本・アフガニスタン関係全史」用の行政区画図を作った直後だったので、眼は自然に古地図に潜む「アフガニスタン」に特化し、多くの優品の中で「プトレマイオスの世界図」「坤輿万国全図」「五天竺図」に集中された。前3C頃のエラトステネス図を文献でしかみたことが無かった私にとって全て初見だったので感動した。15C写本とはいえ「プトレマイオスの世界図」は原本は前
Cとエラトステネスより新しく、図法の進歩はあるが情報量がより貧弱であったのに驚いた。当時勿論アフガニスタンは無かったのだから記入が無いのは当然として、ヒマラヤ・ヒンズクシュの捕らえ方など全般に亘り古いエラトステネス図に軍配があがる。インドについてはアレキサンダー東征の影響も有ってか情報の質に変化があり、プトレマイオス図インド東端に「SINA」の書き込みがあるのが印象的だった。プトレマイオスの記事はセレス(絹) 搬入路、リヒトホーヘンの指摘する「大シルクロード」について商人からの聞き書きに拠るといわれるが、商人はルートの秘密を守るため偽情報を流したという説もあるくらいで、根拠は薄いかも知れないが少なくとも「支那」とおぼしき書き込みが読み取れるのが楽しい。
坤輿全図はマテオ・リッチの1602年北京刊と、それを日本国内で詳細にコピー、彩色した1664年以降の写本とが並ぶ圧倒的な展示だった。ほぼ畳4帖という巨大さでアフガニスタンに相当すると思える箇所を凝視するが、老眼、白内障では判然としない。帰宅後図録を拡大してみるとどうやら「亜的伯譲」と右下にやや小さく「哥蝋作泥」のように読める。前者のルビは「アヘルシマン」と教えていただいたが、後者は良くわからない。関根氏は「・・関係全史」冒頭の箕作省吾、「坤輿図識」1845年刊を紹介して・・{「加非爾斯当」(カビルスタン)[カンダハールか]=阮元が(中略)坤輿全図1835年刊に見えたる 鄂爾善(カビルスタン)、是なり、=一名「アフゲハニースタン」は、百爾西亜(ペルシア)の西にあり・・・と引用する。もし前掲「哥蝋作泥」を(カビルスタン)と読んで良ければ、1664以降時点で=「アフガニスタン」是なり。が成立する。200年の違いと「全図」か「図識」の原本の違いかで使用した文字に相違はあるけれど、私としては彩色全図の作者は無意識下であっても「アフガニスタン」を記録に残した最初文献ではないかと思いたい。 「五天竺図」は19C明治初期の写本で南瞻部州を描くが、私は中央の河水源の渦巻きに見とれた。「水経注」ので出だしに「淮南子」を引いて・・・崑崙の蔬菜園の池の黄水は三たび廻って園水源に流れ帰る。是を丹水(白水)と謂い、・・河水は崑崙の東北の陬から流れ出し、赤水は東南の、洋水は西北の陬から流れ出し、・・・(平凡社、中国古典全集21)と誌された「四水」らしく、三重に廻った水源渦中心部の上下左右には北から右回りに赤、白、黄、青の 動物シンボルのような書き込みがある。更に趙 一清の補筆による「弱水は窮石より出でて合黎に至る」の弱水らしき南西流の「五水」が描かれている。この渦を見ると私にはバーミアンが思い浮かぶ。バーミアンは周囲の山並みから東にインダス水系、北にアムダリア水系、西にハリ・ルード、南にヘルマンド水系と河川を放出する巴の中心に位置する。水系を越えて異文化に遷る交通の要衝でもあるが、拠り所を水経注の巴同様水系に求めて、その地に仏教コンプレクスを構築した精神性を古代の先人に感ずるのは、あまりにも感傷に過ぎるだろうか。
アフガニスタン文化研究所 NEWS LETTER 第13号掲載
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