1979年アフガニスタンに侵入したソ連軍は10年に及ぶ戦乱の結果、1万5千の兵を失い3万7千の負傷者を抱えて89年に中央アジヤの全般に混乱を残したまま撤退した。アフガニスタンは以降10年にわたる内戦で疲弊、崩壊したソ連では91年以降13の周辺共和国も独立したが平和にはほど遠かった。西カフカスのチェチェンもそのうちの一国だったが94年には懲りることを識らない新ロシヤ軍の介入を受けて第1次チェチェン戦争となり95年の和約後様々な不幸な事件の後、99年には再び第2次チェチェン戦争に至った。ロシヤ人監督アレクサンドル・ソクーロフは「戦争に美学はない」と、戦場のグロズヌイ駐屯基地を中心に戦闘場面は一切出さず全編基地内ロケのみで、戦争の矛盾を描いた。
映画は「チェチェンへ アレクサンドラの旅」として昨年末から渋谷のユーロスペースで公開されている。アフガン派兵を論ずる国会の識者は一見の義務がある。
2007年に惜しまれて死去した世界的チエリスト、ロストロポーヴィチは大の日本贔屓で、来日するといつも築地の魚市場に出向いた。ときにはNHKの楽員を引き連れてマグロの競りに固唾をのんで「これこそ日本の本当のオペラだ・・」と競り人の節回しに讃辞を惜しまなかった。 マナーの悪い外人観光客といわれて見学禁止になった築地市場の昨今を聴いたら何と言うだろう。
ロストロポーヴィチの夫人はロシヤが世界に誇るオペラ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤだが、ソ連時代は夫と共に国籍を剥奪されアメリカに20年も亡命した。映画には初出演だったが「チェチェンへ・・・」では主演女優として80歳の風格をアレクサンドラに託して好演している。しかも歌手を片鱗も出さず歌声が聞けぬのは見事、かつ残念。
戦場に孫を尋ねる習慣がソ連時代から当たり前なのだったら新知見でビックリ。
戦闘場面は一切無く、駐屯地、基地内を歩くおばあちゃんを追うだけの映画なのだが、巨大な鉄道輸送車、限り無く頑丈な戦車、装甲車、空を圧するヘリコプター、必ずしも精密とはいえぬが重く無骨な武器を携えて土埃と鉄の塊に身を寄せる兵士の虚ろな瞳、考えることを拒否した騒音だけに包まれる基地を取り巻く乾いた駐屯地に隣り合う一切を無視して付き合う現地民、アレクサンドラを追うカメラはそれら圧倒される周辺素材が撮し出されているのを見ないわけには行かない。
完全舗装の有料道路を走っていても車軸が切れてホイールが飛ぶような車を作って居る会社が世界一の兵器を作れる重工業会社だと信じて疑わない国民が、言葉も通じず歴史教育もままならない惑える兵士と共に一蹴りで壊れるコンピューターだけを携えて、鉄道も舗装道路も水も電気も無いヒンズクシの山岳に、海上給油が出来ただけの経験から補給途絶を考慮することなく、観たこともない戦争を体験するために旅立てると想像をたくましくする論者は、概念はおろか、先ず初歩的物理条件が全く受け付け不能で論外な事だと気づくために、此の映画を観る義務がある。
アフガンに派兵するいイロハとして、イラクでの空輸が安全であったり、ガザの空爆が最も学ぶべき方法ではなく、アレクサンドラを沢山送り込むことの方が大事な事だということを先ず学ぶことだ。
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