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2008年3 月15日 (土)

コメント

ukita

高仙芝のダルコット越を、ここまで調査された先人がいるとは驚きです。
私のシナリオでは、高仙芝より下位の将が小律勃征伐の命令を受けながら、アライ峡谷の唐軍前線基地に張り付いたまま動けず有効な戦略策定をできず、部下に突き上げられてカラクル湖畔まで進出したが、吐蕃軍の遊撃戦術にやられっ放しで何も進捗せず、別戦域が主担当であった高仙芝が督戦に来たところで、李嗣業ら戦闘的中堅将校らが決起、高仙芝が指揮権を回収し自ら陣頭指揮を執ることを決断した。
敵を駆逐しつつ、シュグナン回廊を急速南進、ワハン回廊との結節点に待ち受ける吐蕃軍主力を撃破、敗走した吐蕃兵は連雲堡に籠り唐軍を山岳戦に誘引した。・・・
と云う軍事経路を想定しております。

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