中央アジア史を大きく動かしたクシャンの盛衰に関し、其のおおもとをなす五翕候の勇、貴霜翕候の揺籃の地がワハン回廊西半分であることを含む五翕候の領域について、白鳥庫吉先生の説が戦前から通説化していたが、最近、貴霜揺籃の地はクンドウズ川がアムダリヤとの合流点に近いキシュト・テペであろうとする前田たつひこ先生のオクサス川南北のバクトリヤに拡がる五翕候の新しい領域展開説が発表された。
両説をイラスト化して比較すると、大月氏西遷を含めたオクサス(アムダリア)周辺、バクトリアとワハン、バダクシャン一帯の勢力関係がが全く違って見えるところをを確認する。
白鳥庫吉先生の著名な論説「大月氏考」(昭和16年9月「西域史研究」岩波書店)に記された5翕候の地域設定は、以降長らく通説となっていた。地図化して(右;図枠クリック)右図に示す。
中心となる貴霜翕候の地域がワハンの西半分、最も南北幅の狭い地域であることは、年間の気象、耕地面積、扶養可能な人口などを考えると、短期に膨張してクシャン帝国を打ちたてるには国力不足で、とても無理だろうと常々感じていたが、07年に平山郁夫シルクロード美術館の前田たつひこ先生が貴霜揺籃の地はクンドウズ川がアムダリヤとの合流点に近いキシュト・テペであろうとする新説を発表された(古代オリエント博物館紀要No.26号)地図化して右図に示す。(右;図枠クリック)
白鳥説では五翕候の全てがオクサス川南岸、アフガニスタンのバダクシャン、ワハンに配されたが、前田説では漢史に記す藍市(監市)城をクンドウズのバラ・ヒッサール遺跡に配し、関連する貴霜をクンドウズ川のオクサスへの合流渡河点を扼するキシュト・テペに当てるほか四翕候は全てオクサス北岸のタジク領、ヴァクシュ、カフィルニガン両川の下流沃地に当てた。
白鳥説でヒンズクッシュ(雪山)を挟んでジュルム、アンジュマン流域、パンジシールからカーブル(カピシ)への孔道周辺を当てた高附翕候は前田説では廃され、オクサス北岸ウズベク領テルメズを都密として高附に代えた。カフィルカラ、ドシャンベ周辺、ダルベルジン・テパ、カラバグ・テパ、タフテイ・サンギンなど注目遺跡を他の三翕候に関連、連想を誘うユニークな提案がなされ、オクサスを挟む南北バクトリアに侵入した北方遊牧民族の定着農民化(塞、大月氏、大夏)などの関連を考えさせる注目すべき提案となった。今後南北岸各地の研究が更に進み貴霜帝国との関係史、遺跡美術などとの相互関係が更に解明されることが期待される。
参考に前田先生が五翕候を配する頃の遊牧民の侵入定着の状況を別図に示す。(右;図枠クリック)
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